「ピカソの挑戦~かたちの変貌~」 |
彫刻の森美術館 開館 50 周年記念 『ピカソ館』 リニューアルオープン |
THE HAKONE OPEN-AIR MUSEUM |
彫刻の森美術館(神奈川県箱根町、館長:森英恵) は、開館 50 周年記念事業としてピカソ館の全面リニューアルを行い、7 月 27 日(土) より一般公開します。 |
彫刻の森美術館は、昭和 44 年 8 月 1 日に開館いたしました。 彫刻の森美術館は、元号新たに 50 周年を迎える。 |
|
『全展示作品数: 124 点』 |
ピカソ館は、20 世紀を代表するスペインの芸術家パブロ・ピカソの作品を専門に紹介するために、1984 年に開館し、以来、陶芸を中心とした 319
点のピカソ・コレクションを順次公開しています。 |
'2019 7_26 「 ピカソ館―リニューアル」 のテープカット&リニューアル開会式&リニューアル内覧会の会場内風景です。 |
・画像をクリックすると来賓者と主催者のご挨拶がご覧いただけます。 |
彫刻の森美術館 「ピカソ館―リニューアルオープン」 |
開館 50 周年、彫刻の森美術館 『ピカソ館』 リニューアルオープン!
|
新しくなった展示室で、ピカソ・コレクションの数々をご堪能ください。 |
【リニューアルのポイント】 |
本展覧会 「 ピカソの挑戦~かたちの変貌~ 」 展示構成。 |
展示室 1. <ピカソの挑戦> |
'2019 7_26 「ピカソの挑戦~かたちの変貌~ 」 のプレス内覧会の作品展示風景です。 |
展示室 1. <ピカソの挑戦> |
|
ピカソは絵画において、スタイルの創造と破壊を繰り返しながら、イメージの変容と豊穣な成果を求めました。 主題となったのは、自身をとりまく現実世界です。 また、原画をジェマイユやタピスリーに作り直すなど、素材を変えることによって作品に新たな魅力を加えました。。 |
|
・画像をクリックすると、展示室 2. が、ご覧いただけます。
|
|
「ピカソ館」 35 年前に開館しました。 35 年経って、今日はじめてのリニューアルオープンとなっています。 この場所は、富士箱根国立公園になっており建築基準に非常に厳しいものがあり、今回は内装を床、壁、空調そして照明、設備など、そっくりリニューアルして、箱根の緑あふれる外景にふさわしい、明るい空間の洗練したものになっています。 |
展示室 3. <かたちの変貌> |
|
ピカソは、イメージを陶器よりももっと丈夫な素材で表したいと望み、金属を使った制作を試みます。 版画においては、ひとつの作品が出来上がっていくなかで、原版自体に様々な修正を加えながらそのつど刷りを試み、イメージを追求することもありました。 その結果、最終的な段階が必ずしも作品の完成を意味するものでもなく、イメージを多様に変形させていく過程そのものが重要となったのです。 |
|
・画像をクリックすると、黒河内 卓郎(彫刻の森美術館 主任学芸員) のギャラリートークが、ご覧いただけます。
|
|
『ゲルニカを描いたときの版画』 「青の時代」 など時系列にそって作品を展示している。… |
'2019 7_26 「 ピカソ館 リニューアルオープン」 のPRESS RELEASE、プレス内覧会、ギャラリートークの抜粋文、会場内風景です。 |
・画像をクリックすると、ピカソの私生活の一部が、ご覧いただけます。 |
|
パブロ・ピカソ Pablo Picasso (1910-1999) ―「ピカソ館リニューアルオープン」 外観風景をプレス内覧会より― |
|
パブロ・ピカソ (1910-1999) 年 譜 ―「ピカソ館リニューアルオープ」 PRESS RELEASEからの抜粋文― |
|
・1881 年 |
10 月 25 日、スペイン南部のマラガに生まれる。 父ホセ・ルイス・ブラスコはサン・テルモ工芸学校の教師。 母は、マリア・ピカソ・ロペス |
・1895 年 |
父がバルセロナの美術学校の素描教師となり一家で移転。 ピカソは異例の若さで同校高等部の試験に合格する。 バルセロナで最初のアトリエを借りる。 |
・1901 年 |
親友カサヘマス自殺。 マドリッドで文学者ソレルと雑誌 「アルテ・ホベン(若き芸術)」 を発行。 ヴォラール画廊でパリ初の個展開催。 <青の時代> |
・1904 年 |
パリ永住を決意。 モンマルトルの長屋 “洗濯船(バトー・ラヴォワール)” に定住。 フェルナンド・オリヴィエと同棲。 サーカスに通い芸人、アルルカンなどの世界を描く。 <バラ色の時代> |
・1907 年 |
《アヴィニョンの娘たち》 完成。 ・08 年(27歳)、ブラックらとキュビスム開始。 セザンヌの影響をうけた。 <セザンヌ的キュビスム> ・09 年(28歳)、<分析的キュビスム> に移行。 |
・1912 年 |
初めてパピエ・コレを試みる。 <総合的キュビスム> に移行。 マルセル・アンベール(エヴァ) と知り合う。 ・17 年(36歳)、ジャン・コクトー作の前衛バレエ 「パラード」 の美術を担当。 ローマに旅行。 ・18 年(37歳)、バレリーナのオルガ・コクローヴァと結婚。 <新古典主義> をキュビスムと並行させて開始。 |
・1921 年 |
長男ポール誕生。 《アヴィニョンの娘たち》 に始まるキュビスムの探求が完結する。 ・25 年、(44歳)、パリの第 1 回シュルレアリスム展に参加。 ・27 年(46歳)、17 歳のマリー=テレーズ・ワルテルと出会う。 |
・1933 年 |
シュルレアリスム雑誌 「ミノトール」 の表紙担当。 ミノタウロスの連作を始める。 ・35 年(54歳)、マヤ・ピカソ生まれる。 ・36 年(55歳)、女流写真家ドラ・マールと知り合う。 ・37 年(56歳)、エッチング 《フランコの夢と嘘》 を制作、独裁者フランコを攻撃する。 パリ万博スペイン共和国館のために 《ゲルニカ》 制作。 |
・1943 年 |
フランソワーズ・ジローと出会う。 ・44 年(63歳)、パリ解放後フランス共産党に入党。 ・46 年(65歳)、陶芸の村ヴァロリスを訪れ、マドゥーラ窯を構えるジョルジュ・ラミエ夫妻を知る。 ・47 年(66歳)、本格的に陶芸を開始。 ・49 年(68歳)、パリ平和会議用のポスターに、鳩を描いたリトグラフが採用される。 |
・1951 年 |
東京で初めての個展を開催。 ・53-57 年(72-76歳)、ローマ、パリ、ニューヨークなどで大回顧展。 ・55 年(74歳)、最初の妻オルガ死去。 カンヌの “ラ・カリフォルニー”に住む。 |
・1961 年 |
ジャクリーヌ・ロックと結婚。 ムージャンの“ノートル・ダム・ド・ヴィ”に住む。 ・63 年(82歳)、バルセロナのピカソ美術館開館。 ・66 年(85歳)、パリで生誕 85 周年記念の大回顧展。 ・68 年(87歳)、版画 <347 シリーズ> を制作。 ・70 年(89歳)、パリ国立近代美術館で生誕 90 周年記念の大回顧展。 |
・1973 年 |
4 月 8 日、ムージャンの“ノートル・ダム・ド・ヴィ”で、91 歳の生涯をとじる。 |
パリのピカソ美術館 ピカソは生前、膨大な数の自分の作品を保有していた。 彼の死後、フランス政府は、数ある貴重な作品の一部をフランス国民のために国に寄贈するなら、それを相続税に変えてもよいと認めた。
寄贈された作品は、現在では、1985 年に開館したパリのピカソ館の代表的存在となっている。 |
お問合せ:0460-82-1161 |
参考資料:「 ピカソ館リニューアルオープン 」 PRESS RELEASE、プレス説明会、ギャラリートーク、チラシ他 |
ご意見ご感想は yashio@mui.biglobe.ne.jp |
Copyright © 2002-2021 Yashio.ALL Rights Reserved. |